新緑の候、皆様におかれましては、益々御清栄のこととお慶び申し上げます。
シェルパ・インベストメントの川本でございます。



本日のメルマガは、四川の地震が大変話題になっていますので、
関東大震災のときの松下幸之助の言葉をお送りいたします。



ご一読頂ければ幸いでございます。

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「震災でどこも正念場や。いままでの売掛金は半分でええ。
それから商品は前替え、値段はそのままや。」



関東大震災は、大正十二年九月一日に起こった。

死者六万五千人、火事焼失三万戸。

松下電器の東京出張所にいた幹部、井植歳男はこの時取るものも手に取らず、

お得意先に「震災お見舞い」を届けるため駐在員とともに東京を駆け回った。



お見舞い訪問が一時落ち着くと、今度は大将・幸之助のいる大阪に取って返して、

いち早く東京の惨状を伝えなくてはならなかった。

報告を受けた幸之助は、彼らをいったん休ませ、1週間後には再び東京へ行かせた。

「いまが正念場や。もう一度東京へ戻り、得意先を回ってほしい。

ここはまず集金や。だだし、これまでの売掛金は半分でええ。

そして、松下の商品は今後も値段据え置きや」



事実、東京全体が凄まじい物不足で、食糧難。

必需品の電球なども絶対的な品不足で、あっても目の飛び出るような高値で売られていた。

井植歳男たちに与えられた「特命」は、まず集金だった。

しかし、震災に遭った家電販売店に、これまでの納品分の代金を貰いに行くことだけではない。

取引先の店を回る井植たちは、

「この度は本当にお気の毒でした。大変な目に遭われました。

こんな時ですから、売掛金は半分だけで結構です。

それと、明日からうちの商品をどんどん納められますが、どうでしょうか。

もちろん、前替えで結構です」

これを聞いた電気屋の店主たちは腰を抜かさんばかりに驚いた。

前替えとは、値段は今まで通り、震災前と同じ価格でいいということだ。

「これまでの売掛金は半分でよろし。ですが、現金でお願いできますか」

と重ねて井植が言うと、電気屋の店主たちは皆、松下電器の商品に飛びついた。



結果として、震災を機に、松下電機は売掛金をあらかた回収したうえ、

一気に東京進出の足がかりを作ったのである。

目先の損得を大胆に否定することで、はかり知れないほど大きな財産を残す。

これらは幸之助の大局観を端的に表すできごとであった。



          ~宝島社「シリーズ偉大な日本人 松下幸之助」より~
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今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

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