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春爛爛漫の季節を迎えました今日この頃、
皆様におかれましては、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。
シェルパ・インベストメントの川本でございます。
本日のメルマガは、松下幸之助の「思い」の技術を
ご紹介致します。
ご一読頂ければ幸いです。
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【成功後不成功後の松下幸之助氏の「思い」の技術】
松下幸之助はいろいろな物事に取り組んだ結果、
松下幸之助氏の「成功した」時と「不成功であった」時の「思い」方に、秘密がある。
「ぼくは今まで六十年間社会へ出てからいろいろやってきたけれども、
その間、いつでも仕事がうまくいった時には、ぼくは幸せだったなと思う。
しかし、この志と違ってうまくいかなかった時はぼくが悪かったと思ってきた。
これだけは一貫してきたなぁ。」と語る時、松下氏の真の姿が見えてくる。
つまり、ココである。
「成功したらわたしの力と思い、失敗したら『運が悪かった』という」発想と、
松下幸之助氏の「思い」の技術は逆である。
ここでは、どこまでも執着を断ち切り、どこまでも謙虚で、
さらに偉大な経営者・松下幸之助氏の姿を見出すのである。
たいていは、この逆である。例えば、サラリーマンが、
上司のことをボヤキ、教師が廊下トンビになって、同僚のことをこきおろす。
実際、サラリーマン小説や夏目漱石の『坊ちゃん』は、この実態をリアルに語りつくしている。
やはり、これでは「幸運」が続かない。
事実、滋賀の京セラ工場の社員が行くスナック街や京都市内のホテルのパーティー会場で、
京セラ社員が、グチや不満を漏らしている姿は見かけないという。
お互いに、夢を語り合いながら酒を飲むのは、京セラの伝統である。
また、玉川学園の創設者小原国芳氏に率いられた玉川学園や、
斉藤喜博が校長となった島小も、同じような雰囲気で、
松下幸之助氏と同じようなリーダーシップがあった。
とにかく、一方で自己責任を極め、逆に成功した時は、
周囲や関係者のお陰と最大の感謝を捧げ、「幸せだった」と思うのが、松下幸之助氏であった。
ここにこそ、不思議と「幸運」が続く、松下幸之助氏の「思い」の技術がある。
―松下幸之助に学ぶ「思い」の技術― 宮本直和 著 より
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今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
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